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キラキラ志事人Vol.1

更新日:2023年8月19日

有機農業家“あすらふファーム“代表 細井勇さん

― 細井さん、はじめまして。

この度は私たちのキラキラ志事人プロジェクトの記念すべき第1号インタビューを受けてくださって本当にありがとうございます。


では早速始めたいと思います。

― どんな少年時代でしたか?

物静かで引っ込み思案でいじめられっ子でした。小学2年生で友達の影響でサッカーを始めてから活発になっていったという感じです。


― 学校は楽しかった?

学校は楽しかったけど、苦手でした。修行の場だと思っていました(笑)。色々な友達と同じ空間に放り込まれて、はいっ、うまくやりなさいって。ちょっと無理ゲーかなと思っていました(笑)。学校で協調性をもってうまくやるためには自分を押し殺さなくちゃいけないし、終始周りに気を使って疲れていました。そのうち八方美人になって学校での自分と家での自分は全く違った人間になっていたと思います。色々学校では問題起こして、怒られたりもしましたけど。家とのギャップを親に心配されたくなかったので、授業参観などには一切来させませんでした。早くおとなになりたいなってずっと思っていました。



― 何か好きなものは?

小さい時から歴史が好きでした。歴史上の人物を一人ひとり熱心に調べていました。教科書で教わることが勉強じゃないと思っていて。学校では都合のいいように教えてるなと。なぜか歴史だけは勉強じゃない感じがしたんです。自分は好奇心で色々なことを図書館で勝手に調べていました。漫画のワンピースも好きでした。小学校の高学年のときから読みだして、“自由”という意味を深く考えさせられ、世の中のおかしさに気付くきっかけになりました。


― その後は?

高校時代は楽しくなってきましたね。より広い世界が眼の前にひらけて、気の合う仲間が増えた感じです。友達の影響でブラックミュージックにハマったり、ギターをやったり。20代までさいたまで過ごしていました。音響専門学校を卒業後、池袋のレコード店でアルバイトして好きなレコードを買い漁って。人並みに恋愛して結婚を意識したとき、お金が無いことに気付きました。比較的手当がいいかなと考えて電気工事士として現場で昼夜問わず5年間働きました。でも結局この生活はずっとは続けられないと思って、やめちゃいました。その後は1年間くらい旧友と遊んだり、旅行したり、本当にやりたいことを見つけたくて本屋に通い詰めたり。その時に旅の本を目にして、海外へ行ってみようかなという気になったんです。


― それで東南アジアバックパッカーの一人旅へ?

そうです。タイへの片道航空券だけ買って帰りたくなるまで行ってみようと。タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、マレーシア、スリランカ、ネパール、インドに行きました。4ヶ月間くらいの旅でした。

― アジアの旅を終えての感想は?

日本って特別な国だなと改めて感じる出来事がたくさんありました。日本人が何かをしないと世界は良くならないんじゃないかと勝手に思っていました。過去に日本人がアジアの国々で様々な社会貢献をしてきているという事実も旅の中で知りました。スリランカの当時の大統領が戦後敗戦国の日本の立場を弁明したことで、国際社会の復帰を助けてくれたという事実も知りました。東南アジアの人たちは日本へのリスペクトがあります。今の自分の暮らしがあるのは先祖が命をかけて守ってくれたお陰だと理解しました。今ではアジアのリーダーは日本しかないと強く思っていますし、テレビやメディアで見聞きして理解するより、現地で体感することの重要さを改めて学んだ気がします。


― 帰国してからいよいよ農業に?

いや、笑 まだしばらくはフラフラしていました。本当にやりたいことが見つからないまま就職したとしても、どうせ退職することになるので、単発バイトをしながらやりたいことを探す下の生活でした。そのうちに、小学校の時に体験したさつまいも掘りが楽しかった記憶を思い出して“農業”というワードが頭の中にふと湧いてきたんです。





― 最初の農業はどこで始めたんですか?

さいたまです。大きな面積を借りている慣行農家で1年間お世話になりました。キャベツ、ブロッコリー、里芋、カリフラワー、ナス、にんじん。ただひたすら作り続けて、ど根性で契約スーパーのあちらこちらに売りさばく日々でした。栽培の理論というよりは、その野菜の作り方を教えてもらうだけで正直これを続けていきたいという気持ちにはなりませんでした。既に自分の中で有機農業をやりたいという気持ちが芽生えていました。そこで、『さいのね畑』という千葉県の有機農家さんのところへ話を聞きに行ったんです。そしたら300万程度の資金が貯まったらもう一度来いと言われて。で、とにかくお金を貯めるために住み込みで嬬恋村の農家にアルバイトをしに行くことになりました。


― 嬬恋村は有名なキャベツ産地ですか?

そうです。三食付きで1シーズン半年間をめちゃくちゃ頑張って働きました。1シーズンが終わるとまとめてお給料がもらえるんです。結局そこで、2シーズン働いてトラクターの免許も取らせてもらって、300万貯めました。笑

― すごいですね。で、いよいよ『さいのね畑』で有機農業の一歩を?

はい。楽しかったですね、土作りの理論から始まって。有機農業の考え方は慣行農業と全く違いますから。理論派の親方がみっちり1年間をかけて、研修生自身が責任と自信を持って農業をできるようにしてくれました。その親方がさらにアドバイスしてくれて、今のうちに結婚もしないと駄目だと。本格的に独立したら結婚相手を探している暇はないぞと。笑


― その時に奥さんに出会ったんですか?

そうです。笑 ネット婚活して、今の奥さんに出会いました。2019年に出会って半年間くらいでスピード結婚しました。自分は変なところで神経質なタイプで気を使いすぎて気疲れするタイプなのですが、妻は僕よりしっかりしていて、おおらかな性格で頼りになりますし、互いに気を使わずに済むのでありがたい存在です。


― 今は下野市で独立有機営農をして3年目とのことですが、どんな1日を?

朝は6時半に起きて夏場は夜22時過ぎまで仕事しています。僕1人で作業していて、日中は畑仕事、夜は収穫した野菜を袋詰めして、ほとんど自由な時間は無いです。冬場はもう少し時間に余裕ができて家事もできるのですが、夏場は稼ぎ時なので、とにかく忙しいです。帰宅してからはビールを飲んで、汚い身体を洗って、洗濯して、日誌をつけて終わりですね。有機営農を始めてから、今までの趣味が一切無くなって、生き方も物凄くシンプルになりました(笑)。


― 有機農業は難しいというイメージですが、苦労していることは?

好きなことを仕事にしたので、今は苦労しているという感覚はほとんどないです。ただ下野市に来た当初の1年目は実験的に土作りをしていました。比較的水はけが悪い土地だったので根の張る植物を育てたり、緑肥や籾殻を撒いたりして試行錯誤しました。結局あまり効果が出ず、ほとんど咲く付けもできずに苦戦していました。今いる場所に移動してきて2年経ちますが、ここで農地を借りることができてから本格的に作付けすることができるようになりました。今は6反の広さを所有していて、収穫力も十分あって売りきれないほどの野菜が育っています。有機農業は実際そんなに難しくないです。自分としては有機農業より慣行農業の方が、敷居が高いのではないかなと感じています。


― 慣行農業の方が?なぜですか?

慣行農業は単一の農作物を大量に作って大量に売らないと成り立たない農業だと思うので、初期投資で1千万以上は必要になるのではないかなと思います。もう自分もいい歳なので、残された時間でそれだけの投資をしても元が取れないなと(笑)。大量の野菜を売ることになるので、販路はJAさんにお世話にならざるを得ません。野菜の規格も厳しいと思いますし、単価も安くなる。それは自分としてはちょっと違うかなと。自分ももちろんJAの準組合員です。不要になったビニール資材などはお金を払って回収してくれますし、JAさんと無関係な仲というわけではありません。


― 有機農業で苦労していることはないということですが、雑草とか虫とか色々問題はあると思うのですが・・

夏場は確かに瞬時に雑草で畑が埋まるので、常に雑草と格闘しています。でも僕は極力トラクターでうなったり雑草を抜くことはせず、ひたすら草刈り機やハンマーナイフモアを使って刈っています。雑草を畑に残すことには意味があって、雑草で土を覆っていることで、養分の流出をふせいでくれ、土が雨・風・日光や凍結から守られることで土が痩せるのを守ってくれています。


植物の根っこは微生物とつながっていて、そこから共生的なネットワークが形成されながら土壌微生物が増えていきます。土壌微生物が増えることによって、野菜栽培によりよい土ができていくのかなと考えています。まだまだ勉強中の身ですが(笑)。なるべくその微生物の住む環境を壊したくないと思いながら土と向き合っています。また雑草によって様々な役割があるのですが、スギナという雑草の名前を聞いたことありますか?スギナは元素変換をして自分の内部に存在しないカルシウムを自ら作ることができると言われています。つまりスギナが生えればそれを刈りとり地中にすき込めば、自然とカルシウム分を補うことができる。それってとてもすごいことだと思うんです。虫や雑草、微生物、それぞれに明確な役割があって、互いに作用し合って土壌のバランスを保とうとしているのかなと感じています。この世界には無駄なものは初めから何ひとつなく、その摂理に抗うことはバランスが崩れてしまい、ある意味効率的にも悪いのかなと。


実は僕は、虫も病気も全然気にしていません。植物は窒素分を好む虫を本能的に回避するために、下の葉に集中的に窒素濃度を高くしながら成長すると言われています。虫は下葉や外葉を好んで食べるようになるので、虫に食われた下葉や外葉を取り除いてしまえば、残りは比較的きれいな有機野菜そのものですから何の問題もないです。病気に関しても、自然の摂理ですから病気がちな弱い個体をあえて救うことはしません。土壌作りや輪作を行う事である程度病気は回避できますし、最終的に強い個体が残ってそれを収穫しているだけの話です。もし畑が害虫で溢れたら、明らかに窒素過剰なので、その場合自分の行いを反省し土作りを見直します。こんな感じで、感覚的に自然の摂理が織りなすシグナルを受け取りながら有機農業を楽しんでいます(笑)。


― なるほど。

虫も食わない見た目が綺麗な野菜は農薬を使っているわけですし、むしろ危険だという認識を消費者もしっかりもたないといけない。

慣行農業は高い農薬を買わされて無駄なこと、余計なことをいっぱいやっていると僕は感じます。多種類の野菜を少量でも作って、理解して買ってくださる消費者の方々と直接顔が見える近い関係でいられることが有機農業をやっていてよかったなと思える部分です。


― 有機農業といえばJAS認定は取らないのですか?

JAS認定は確かに大量に作って売るという意味ではメリットがあると思います。スーパーなどで扱ってもらえますし。でも僕としては1人の労力で、大量に作って売ることが非常に難しいので、認定を取ることにあまり魅力を感じていないのが本音です。だからこそ、販路開拓はまだまだこれから頑張らないといけないと思っています。安定して生活ができるレベルには達していないのが現状なので(笑)


― スーパーや今流行の道の駅などでJAS認定を取っていない野菜を有機野菜と明示して販売することは難しいのが現状ですよね。

そうですね。“あすらふファーム”というシールを付けて販売はしていますが、有機(オーガニック)野菜という明示はできないです。


― 消費者としては安全な野菜を知った上で購入する権利があると思うので、それもおかしな話だなと思います

確かにそうですね。生産者の方々を守るためには仕方がない側面もあるかもしれません。


― 課題が見えてきますよね。目指す未来の目標は?

うーん、とりあえずまずはしっかり御飯食べられるようにならないとです(笑)。 一人でも多くの人に安全な野菜を食べてもらいたいです。自然農法もとても興味があるのですが、まだ技術的には自信がなくて手を出せません。いずれそのレベルに達することが出来たらいいなと思っています。あとは自分一人だけだと限界があるので、志を共にする農業仲間同士で団結して助け合って、楽しくやりたいです。


― では最後に皆さんに言いたいことを一言。

有機農業は難しいと言われますが、実は違います。種を蒔き、苗を植えて少し工夫やコツを学べば、野菜は育ちます。野菜の規格や見た目に消費者さんのご理解が少しでもあればハードルはだいぶ下がると思います。僕なら野菜という作品に自分が作ったという個性がでるので、ポジティブに捉えて積極的に売り出します。有機農業は儲かりませんが、そこには自由があります。自由があるということは可能性が無限大だということです。日本の野菜を無農薬100%にすることもきっと可能ですよ。もっと困難なことを過去に人間は克服してきているので。

でもそれには、消費者さんが無農薬の野菜を求める声が必要だと思います。世界を変えることができるのは農業者ではなく、消費者の声だと思います。人が地球で未来永劫に生きていく上で、唯一必然の手段は農業だと僕は思っています。地球と自然の摂理さえ正常なら農業で人は一生食べて行ける。でも農業を続けていくには100パーセント地球や自然の摂理に従わなくてはならないので、地球に負担をかけない方法を人はこの先もずっと模索し続けていかないとならないと思います。農業ってすごく大切で一生を費やせるぐらい楽しいんだよってことをたくさんの人に気づいてもらえるようにこれからも頑張っていきたいです。


約2時間半のインタビューでしたが、あっという間の時間でした。有機農業は難しいというイメージを、刷新してくださった細井さん。未来に向けて私たち消費者一人ひとりが生産者の方々と共に協力しながら明るく安心な未来を築いていけますように。細井さん、本当に貴重なお話をありがとうございました!











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